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日本人のルーツは? 日本とイスラエルの関係? 出雲王朝と大和王朝の関係は? 常識を覆してしまうがゆえに歴史学者が語らない古代史の最前線を調査する。
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ほんの十数年前までは、「縄文時代」と言えば、動物の毛皮を着て、髪の毛ボサボサで、手に棍棒を持ってマンモスを追っかけているような、“未開の野蛮人の時代”のようなイメージがまとわりついていたし、実際、私もそのようなイラストを数多く見た記憶があります。

ですが最近は、縄文文化の研究が進み、縄文文化とは世界最古の文化であるらしい、ということが実証されつつあるそうです。

しかし、このようなことを言うと人目を人一倍気にする日本人歴史学者たちは“日本に世界最古の文化があるわけがない”“それはきっと大陸から渡って来たものであるに違いない”とハナから否定するようです。

それでも、最近では教科書などにも、下の方の註釈の欄に「現代のところ日本で発掘されている土器が世界最古と言われている」というように、まるで他人事のように記述されています。

いまのように国民国家も成立していない古代において、「日本」「中国」という分類があったわけではないのですから、日本列島と中国大陸あるいは沿海州の辺りが共通の文化圏を持っていてもおかしな話ではないですし、世界最古の文化の発祥の地が日本にあったとしてもおかしな話ではないわけですが、なぜか歴史学者の「常識」では“そんなことはあってはならないことである”ということらしいです。

それでも何人かの真摯に、世界の古代史の真実を明らかにしようと努力されている歴史学者たちの間において、確認されつつある真相について幾つか紹介しておきたいと思います。


●稲作について

・一般には中国大陸から渡来したもの、と言われているが、どうも日本列島から中国大陸に伝えられたものであるらしい。

・このことの科学的検証はまだ定まっていないが、日本に紀元前3000年頃、既に稲作が“栽培”されていたらしい。



●縄文土器について(1)

・縄文土器の製作は、ほんの前までは起源前2000年から3000年頃といわれていたが、1959年神奈川県夏島貝塚で9000年前の土器が発見されたのを皮切りに、1960年には長崎県福井洞穴から1万2000年前の土器が発見され、さらに1998年青森県津軽半島の蟹田町の大平山元I遺跡から1万6500年前の土器片が発見されたという。

・また紀元前4万年から1万年は旧石器時代とよばれるが、この時期の遺跡発見は日本列島では2万件ぐらいあるのに対し、中国大陸では千であり、朝鮮半島は百にすぎないという。

──・──・──・──

このような事実を冷静に考えれば、当時の極東の中心は日本列島であったと考えることができるはずなのだが、大方の歴史学者は「研究段階(=まだ発見されていない最古の土器が日本列島以外に必ずあるはずだ)(なぜ?!)」ということで、あまり発言したがらない……。


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歴史(特に日本)には、まだまだ語られていない真相が沢山あります。どうして、皆そのことを語ろうとしないのか…?そんな小さな疑問と憤りから、このブログを立ち上げました。※なお、情報元については伏せさせていただきます。予めご了承ください。
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