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日本人のルーツは? 日本とイスラエルの関係? 出雲王朝と大和王朝の関係は? 常識を覆してしまうがゆえに歴史学者が語らない古代史の最前線を調査する。
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●縄文文化=日本列島文化ではない。

・言語学的に言ってもポリネシアでは魚のことをイオとかイッアとかいい、日本のウオの古語はイオであったそうです。その他、言語学的特徴が日本語と似ていると言われています。

・先ほど紹介したバツアヌのエファテ島には「自分たちの先祖は日本から来た」という伝説が今なお残っているといいます。またペルーの原住民の間には「ナインラップ神伝説」というものが残っているそうです。

・ナインラップとは太平洋の彼方からやってきた神様で、王国を築いた後に「いつか私は必ず戻ってくる」と言い残して海へ去っていったと信じられているそうです。

・縄文文化は日本列島だけに限定された文化ではなく、北は日本湖を跨いで朝鮮半島から満州、沿海州に広がり、南は太平洋の諸島から南米までに拡がる世界最古の文化・文明であったらしいのです。(縄文文化の中心が日本列島にあったことも間違いないそうなのですが。)彼等は羅針盤もない時代に、潮流を知悉し、星を観測してほとんど丸木舟に等しい舟で太平洋を自由に往来していたらしいのです。

・青森県の三内丸山遺跡を見ても、縄文文化の凄さを実感することができるといいます。日本は木の文化の国であるためその遺跡が残りにくいのですが、黒曜石やヒスイの分布から日本中で交易が行なわれていたことが確認されていて、その交易は海をも渡って行なわれていたといわれています。

・日本は、半島経由で大陸文化が伝えられた弥生時代から初めて発展したのではなく、太平洋を股にかけた大民族であった、というのが真相のようなのです。縄文文化は1万8000年前に始まった最古の世界文化であったとみるのが自然な見解であるらしいのですが、それを真摯に認めることも、また公に発言することも憚られているのが現状のようなのです。
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●大海洋民族としての縄文人

・南太平洋メラネシアのバヌアツ共和国エファテ島から、約5000年前に作られた縄文土器が発見されたのだという。この土器は青森県から出土する円筒土器とほぼ全く同じ種類の土器であったという。

・さらに驚いたことに、南米エクアドルの漁村バルディビアで1965年縄文土器が発見され、これはアメリカのスミソニアン研究所のエバンス博士夫妻によって、日本の縄文土器であるという発表がなされたというのです。

・時期は、バツアヌの縄文土器と同じころの、今から5000年前ぐらいのものであると言われています。

・バルディビアの遺跡発掘調査はまだ続けられており、土器片が見つかり続けているといいます。このバルディビアの縄文土器は、九州の有明海沿岸地域から出土した縄文土器と共通の文様を持っているそうです。

・このことから当時の縄文人は、我々が考えている以上にすぐれた航海術を持っていたのではないか、と言われています。

・ある歴史学者によれば、彼等は海流の動きと逆方向の反流の動きを熟知していたのであろうと言います。「反流」というのは、海流のある近くの島や珊瑚礁等の水深の浅い場所で、逆向きに起こる海流のことです。この反流に乗ればイースター島から南米へ渡ることも可能であると言うのです。

・赤道より北には北赤道海流があり、赤道付近には赤道海流があり、赤道より南には南赤道海流があります。いずれも海流の向きは東から西、即ち南米大陸からポリネシア、メラネシア方向に流れています。

・そして、この三つの海流に挟まれる海域には逆向きの赤道反流が二本あり、この反流に乗って南米に渡ったのであろうと言われています。

・私たちは縄文人と言うと、日本列島に限定された人々、と捉えがちですが、真相は異なり、太平洋を自在に往来する大海洋民族であったようなのです。
●縄文文化圏

・最近の研究によれば、縄文文化は北はロシアの沿海州まで広がっていたことが定説となっているようです。

・今から一万年前までは厳しい氷河期(ウルム期)であり、この時代は海の水深が浅く、千島列島からベーリング海峡までは地続きであったと考えられ、縄文人は陸伝いにアメリカ大陸、次いで南米にも移住していると言われています。

・遺伝子研究からも南北アメリカのインディオはモンゴロイド人種であると言われています。

・縄文文化を“日本(国)の”文化と限定せずに、一つの時代区分として考え、同じ文化圏を共有する人種を“縄文人”として捉えるならば、インディオも縄文人の末裔と言うことができます。

・また、氷河期においては、日本列島は朝鮮半島とも地続きだったのですから、半島人も縄文人の末裔である、と言えるようです。

・江戸時代の間宮林蔵の北地探査の記録がありますが、当時樺太(サハリン)とロシア沿海州の間の海は水深が一メートルほどしかなく、船を漕ぐのに大変な苦労としたことが記録されていると言います。

・百数十年前で、そのような状態だったのですから、氷河期には樺太と大陸が完全に陸続きであったことは間違いありません。

・結局、現在、日本海と呼ばれているものは当時日本湖とも言うべき巨大な湖だったのであり、この日本湖の周囲が全て縄文文化の土地であった、と言うことができるようです。

・それに、それだけではありません。最近の発見からは、縄文人は太平洋を舟で自在に漕ぎ回っていたことが明らかになって来たのです。



ほんの十数年前までは、「縄文時代」と言えば、動物の毛皮を着て、髪の毛ボサボサで、手に棍棒を持ってマンモスを追っかけているような、“未開の野蛮人の時代”のようなイメージがまとわりついていたし、実際、私もそのようなイラストを数多く見た記憶があります。

ですが最近は、縄文文化の研究が進み、縄文文化とは世界最古の文化であるらしい、ということが実証されつつあるそうです。

しかし、このようなことを言うと人目を人一倍気にする日本人歴史学者たちは“日本に世界最古の文化があるわけがない”“それはきっと大陸から渡って来たものであるに違いない”とハナから否定するようです。

それでも、最近では教科書などにも、下の方の註釈の欄に「現代のところ日本で発掘されている土器が世界最古と言われている」というように、まるで他人事のように記述されています。

いまのように国民国家も成立していない古代において、「日本」「中国」という分類があったわけではないのですから、日本列島と中国大陸あるいは沿海州の辺りが共通の文化圏を持っていてもおかしな話ではないですし、世界最古の文化の発祥の地が日本にあったとしてもおかしな話ではないわけですが、なぜか歴史学者の「常識」では“そんなことはあってはならないことである”ということらしいです。

それでも何人かの真摯に、世界の古代史の真実を明らかにしようと努力されている歴史学者たちの間において、確認されつつある真相について幾つか紹介しておきたいと思います。


●稲作について

・一般には中国大陸から渡来したもの、と言われているが、どうも日本列島から中国大陸に伝えられたものであるらしい。

・このことの科学的検証はまだ定まっていないが、日本に紀元前3000年頃、既に稲作が“栽培”されていたらしい。



●縄文土器について(1)

・縄文土器の製作は、ほんの前までは起源前2000年から3000年頃といわれていたが、1959年神奈川県夏島貝塚で9000年前の土器が発見されたのを皮切りに、1960年には長崎県福井洞穴から1万2000年前の土器が発見され、さらに1998年青森県津軽半島の蟹田町の大平山元I遺跡から1万6500年前の土器片が発見されたという。

・また紀元前4万年から1万年は旧石器時代とよばれるが、この時期の遺跡発見は日本列島では2万件ぐらいあるのに対し、中国大陸では千であり、朝鮮半島は百にすぎないという。

──・──・──・──

このような事実を冷静に考えれば、当時の極東の中心は日本列島であったと考えることができるはずなのだが、大方の歴史学者は「研究段階(=まだ発見されていない最古の土器が日本列島以外に必ずあるはずだ)(なぜ?!)」ということで、あまり発言したがらない……。


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歴史(特に日本)には、まだまだ語られていない真相が沢山あります。どうして、皆そのことを語ろうとしないのか…?そんな小さな疑問と憤りから、このブログを立ち上げました。※なお、情報元については伏せさせていただきます。予めご了承ください。
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