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日本人のルーツは? 日本とイスラエルの関係? 出雲王朝と大和王朝の関係は? 常識を覆してしまうがゆえに歴史学者が語らない古代史の最前線を調査する。
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●素戔嗚の出雲上陸

・朝鮮天照との戦争に勝利した素戔嗚は、朝鮮国王大山津見より姉娘の石長姫と妹娘の木の花佐久夜姫(木花開耶姫)を和平のために送ったそうです。この話は『古事記』『日本書紀』では天孫降臨の主人公とされる邇々芸尊の話とされていますが、ここにも記紀の混乱・改竄がされている、と言われています。

・この後、素戔嗚は軍団を率いて出雲に上陸します。対馬海流に乗れば、出雲は最も行き易い土地であると言います。更に海流に乗り続けると能登に着くそうです。

・出雲に上陸した素戔嗚尊は、有名な「八俣大蛇退治」を行います。この話の歴史的な意味は、出雲の鉄を手中に収めたことにあると言われています。出雲の肥の川流域は、上質の砂鉄が採れる当時最大の鉄の産地であったそうです。

・素戔嗚の最大の武器は鉄と馬であったと言われています。素戔嗚は、「建速素戔嗚尊(タケハヤスサノヲノミコト)」という名を持つそうです。建は「武」、速は馬を暗示している、と言われています。

・素戔嗚は日本渡来の際、大量の馬をもちこんだのではないかと言われています。素戔嗚の騎馬軍団が疾風の如き速さで日本全土を席巻していった、と言われています。

・大和を日本で最初に支配したのは大和朝廷ではなかったと言います。素戔嗚が大和に副都を置いて(首都は出雲)、そこの長官に長男の饒速日(ニギハヤヒ)を据えた、と言われています。記紀の中では大歳命(オオトシノミコト)として記載されているそうです。

●天照大神は卑弥呼だった?

・素戔嗚は九州にも進出したそうです。その九州を当時支配していたのが天照大神だったのだそうです。この天照大神は「日霊女(ヒミコ)」つまり卑弥呼なのだそうです。

・記紀には天の安河を挟んで素戔嗚と天照が対峙する記述がありますが、これには二重の意味があるそうです。一つの天の安河は朝鮮海峡で、これは朝鮮天照との対峙を描いたもの、もう一つは豊の国(豊前・豊後)の山国川であると言われています。

・この山国川以南が天照=日霊女=卑弥呼の領国であったと言われています。その都は宮崎県の西都(サイト)であったであろうと言われています。ここには有名な西都原古墳群があるそうです。

・西都は、高千穂峰の近くにあり、高千穂峰は八幡神が初めて治めた土地であると言われています。日霊女は八幡の子孫であったのそうで、八幡から日霊女に至る系譜を「高千穂朝」と呼ぶのだそうです。

・後年、日霊女は居所を南九州から大和へ移したのだそうです。邪馬台国に九州説と大和説がありますが、どちらも正しい、というのが真相のようです。ただし、本来の邪馬台国は南九州にあったであろうと言われています。
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歴史(特に日本)には、まだまだ語られていない真相が沢山あります。どうして、皆そのことを語ろうとしないのか…?そんな小さな疑問と憤りから、このブログを立ち上げました。※なお、情報元については伏せさせていただきます。予めご了承ください。
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