日本人のルーツは? 日本とイスラエルの関係? 出雲王朝と大和王朝の関係は? 常識を覆してしまうがゆえに歴史学者が語らない古代史の最前線を調査する。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
●第二の支族
・イスラエルの支族のうち第二番目に来たのは、紀元後二世紀にやはり半島経由でやってきた族長・素戔嗚尊(スサノオノミコト)率いる支族であると言われています。
・記紀では、素戔嗚は天照大神、月読命の二貴神がそれぞれ統治する両国を命ぜられた後、「海原を統治せよ」と言われ、その統治する国が分らず、“八拳須心前(ヤツカヒゲムナサキ)に至るまで”泣いていたと書かれてあります。
・また、その泣くさまは、青山が枯れるほど泣き枯らし、海河はことごとく泣き干した、と記されています。この記述は不思議な記述で、あまりに泣いたためその涙の水で枯れ山が青山となり、干上がっていた海河が滔々と流れるようになった、ならば分かりやすいのですが、内容は全く逆となっています。これも素戔嗚の出自に関係があるそうです。
・スサノオのスサはバビロニアの町スーサから来ているそうです。スサノヲはバビロニアのスーサから来たイスラエルの族長であったようなのです。“八拳須心前に至る”という表現もバビロニア人の風俗を表しているそうです。
・バビロニアであれば“青山は枯山なし”であり“河海はことごとく泣き乾しき”であろうと言います。バビロニアにもかつては蒼々とした山があったし、河川は満々と水を湛えていたわけですが、それが素戔嗚当時は、山は岩肌が剥き出しになり、河川の水も著しく減少し、多くの川は枯れ川になっていたのであろうと言います。海原を統治せよとの天命を受けた素戔嗚がバビロニアの岩肌剥き出しの土地に生まれたために、命じられた国──海原──がどこにあるか分かるはずもなかった、ということのようです。
・記紀によると、素戔嗚は「私は母の国、根の堅洲国に行きたい」と言い、根の堅洲国に行く前に、天照大神の領国に挨拶に来た、驚いた天照は完全武装してこれを迎え「何のために我が国にやってきた」と叫んだ、と記されています。ですが、この天照は本当の天照ではなく、別の天照ではないのか、と言われているそうです。つまり二人の天照がいたらしいのですが、記紀ではあたかも一人の人物として記されているのだそうです。
・本流の天照はこの時九州にあり、別の天照は南韓の地を統治していたのだそうです。もともと南韓は縄文人が住んでいた所だったのだそうです。後のいわゆる韓国人は半島の縄文人と北方から来たツングース系の民族の混血でできた人種ではないか、と考えられているそうです。
・本流の天照は、八幡神の子孫であったそうで、高千穂峰を中腹まで下ったところに高千穂河原という松林に囲まれた小広い場所があり、そこは霧島神宮が当初置かれていた土地であったとされているそうですが、ここに八幡の宮殿があり、天照の宮殿もあったのであろうと言われています。
・「何のために我が国にやってきた」と叫んだ天照は、南韓の天照で、素戔嗚は後のシルク・ロード経由で韓半島から日本へ渡ろうとしていたところ、南韓の天照の軍が立ち塞がったのであろうと言われています。素戔嗚の軍団は南鮮伽羅(伽耶)の都、高天原こと高霊(タカマ)に軍を進めた言います。
・この都を守る南韓の天照は、どうやら記紀で後の天孫、邇々芸命(ニニギノミコト)の条で出てくる石長姫(イワナガヒメ)ではないかと言われているそうです。記紀の改竄疑惑は広く知られているそうですが、記紀の記事は混乱していると言います。あるいは混乱させられていると言います。石長姫は朝鮮国王である大山津見(オオヤマツミ)の姉娘です。
・記紀によると、初め素戔嗚が剣を石長天照に渡し、それを石長天照が三つに折り、三つに折った剣に息を吹きかけるとそこから三人の姫が生まれ、今度は石長天照が素戔嗚に渡した球から五人の男子が生まれたと記されています。一読して、すぐには理解できない条ですが、当時、二国が接衝する時、君主の持ち物を互いに相手に与えることによって開始する儀式があったのではないかと言われています。
・分かることは、素戔嗚から三人の姫が生まれ、石長天照から五人の息子が生まれたという記述です。ところが素戔嗚尊から生まれた三人の姫──多紀理姫、市寸島姫、多岐津姫──は石長天照とは無関係で、九州の本天照と素戔嗚の間に生まれた姫であったのだそうです。記紀を編纂した主導者は持統天皇と藤原不比等なのだそうですが、ここにも記紀の記事の混乱あるいは改竄が行われているといいます。
・イスラエルの支族のうち第二番目に来たのは、紀元後二世紀にやはり半島経由でやってきた族長・素戔嗚尊(スサノオノミコト)率いる支族であると言われています。
・記紀では、素戔嗚は天照大神、月読命の二貴神がそれぞれ統治する両国を命ぜられた後、「海原を統治せよ」と言われ、その統治する国が分らず、“八拳須心前(ヤツカヒゲムナサキ)に至るまで”泣いていたと書かれてあります。
・また、その泣くさまは、青山が枯れるほど泣き枯らし、海河はことごとく泣き干した、と記されています。この記述は不思議な記述で、あまりに泣いたためその涙の水で枯れ山が青山となり、干上がっていた海河が滔々と流れるようになった、ならば分かりやすいのですが、内容は全く逆となっています。これも素戔嗚の出自に関係があるそうです。
・スサノオのスサはバビロニアの町スーサから来ているそうです。スサノヲはバビロニアのスーサから来たイスラエルの族長であったようなのです。“八拳須心前に至る”という表現もバビロニア人の風俗を表しているそうです。
・バビロニアであれば“青山は枯山なし”であり“河海はことごとく泣き乾しき”であろうと言います。バビロニアにもかつては蒼々とした山があったし、河川は満々と水を湛えていたわけですが、それが素戔嗚当時は、山は岩肌が剥き出しになり、河川の水も著しく減少し、多くの川は枯れ川になっていたのであろうと言います。海原を統治せよとの天命を受けた素戔嗚がバビロニアの岩肌剥き出しの土地に生まれたために、命じられた国──海原──がどこにあるか分かるはずもなかった、ということのようです。
・記紀によると、素戔嗚は「私は母の国、根の堅洲国に行きたい」と言い、根の堅洲国に行く前に、天照大神の領国に挨拶に来た、驚いた天照は完全武装してこれを迎え「何のために我が国にやってきた」と叫んだ、と記されています。ですが、この天照は本当の天照ではなく、別の天照ではないのか、と言われているそうです。つまり二人の天照がいたらしいのですが、記紀ではあたかも一人の人物として記されているのだそうです。
・本流の天照はこの時九州にあり、別の天照は南韓の地を統治していたのだそうです。もともと南韓は縄文人が住んでいた所だったのだそうです。後のいわゆる韓国人は半島の縄文人と北方から来たツングース系の民族の混血でできた人種ではないか、と考えられているそうです。
・本流の天照は、八幡神の子孫であったそうで、高千穂峰を中腹まで下ったところに高千穂河原という松林に囲まれた小広い場所があり、そこは霧島神宮が当初置かれていた土地であったとされているそうですが、ここに八幡の宮殿があり、天照の宮殿もあったのであろうと言われています。
・「何のために我が国にやってきた」と叫んだ天照は、南韓の天照で、素戔嗚は後のシルク・ロード経由で韓半島から日本へ渡ろうとしていたところ、南韓の天照の軍が立ち塞がったのであろうと言われています。素戔嗚の軍団は南鮮伽羅(伽耶)の都、高天原こと高霊(タカマ)に軍を進めた言います。
・この都を守る南韓の天照は、どうやら記紀で後の天孫、邇々芸命(ニニギノミコト)の条で出てくる石長姫(イワナガヒメ)ではないかと言われているそうです。記紀の改竄疑惑は広く知られているそうですが、記紀の記事は混乱していると言います。あるいは混乱させられていると言います。石長姫は朝鮮国王である大山津見(オオヤマツミ)の姉娘です。
・記紀によると、初め素戔嗚が剣を石長天照に渡し、それを石長天照が三つに折り、三つに折った剣に息を吹きかけるとそこから三人の姫が生まれ、今度は石長天照が素戔嗚に渡した球から五人の男子が生まれたと記されています。一読して、すぐには理解できない条ですが、当時、二国が接衝する時、君主の持ち物を互いに相手に与えることによって開始する儀式があったのではないかと言われています。
・分かることは、素戔嗚から三人の姫が生まれ、石長天照から五人の息子が生まれたという記述です。ところが素戔嗚尊から生まれた三人の姫──多紀理姫、市寸島姫、多岐津姫──は石長天照とは無関係で、九州の本天照と素戔嗚の間に生まれた姫であったのだそうです。記紀を編纂した主導者は持統天皇と藤原不比等なのだそうですが、ここにも記紀の記事の混乱あるいは改竄が行われているといいます。
PR
この記事にコメントする
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
フリーエリア
最新記事
(07/17)
(07/16)
(07/15)
(07/10)
(07/09)
最新TB
プロフィール
HN:
頼啓之
性別:
男性
自己紹介:
歴史(特に日本)には、まだまだ語られていない真相が沢山あります。どうして、皆そのことを語ろうとしないのか…?そんな小さな疑問と憤りから、このブログを立ち上げました。※なお、情報元については伏せさせていただきます。予めご了承ください。
ブログ内検索
最古記事
(06/30)
(06/30)
(07/01)
(07/02)
(07/03)
カウンター
アクセス解析